11月19〜21日比叡山延暦寺・京都

【比叡山・延暦寺】

JR京都駅・京阪三条駅・京阪出町柳駅より比叡山頂行き乗車→延暦寺バスセンター下車


バス停から先斗町歌舞錬場が見えました。


バスの、中から琵琶湖が見えました。

延暦寺バスセンター→東塔へ
大講堂→根本中堂→文殊楼を観て来ました。

【大講堂】
延暦寺正門から参道を進むと、最初に論義の道場である大講堂があります。
現在の建物は昭和31年(1956)の焼失後、坂本にあった讃仏堂を移築したもの。
焼失前の規模は、九間四面二層の堂々とした堂であったとそうです。。

【国宝根本中堂】

已講坂(いこうざか)を下ると左手に根本中堂へ誘う広い坂道があり下ると根本中堂です。最澄(さいちょう)は、
平安初期の延暦7年(788)に比叡山に籠もり、小さな草庵をむすんだ。そこを一乗止観院(いちじょうしかんいん)と名付け、法灯(ほうとう)を掲げた。そのお堂が発展したのが根本中堂で、天台宗総本山・延暦寺の中心道場です。
根本中堂は幾度も災禍に遭い焼失したが、その度に再建され、現在の建物は、信長による延暦寺焼討ち(元亀の法難)の後寛永19年(1642)に徳川家康によって再建された銅板葺き入母屋造りで、幅37.6m、奥行23.9m、間口11間・奥行き6間屋根高24.2mの大建築である。昭和28年(1954)国宝に指定された。

ちょうど中では「不滅の法灯」の講話がありました。
信長の焼き討ちに会ったときに一旦法灯は消えて山形県の立石寺(山寺)に分灯されていた法灯を持ってくることによって
不滅の法灯を継続されました。【油断】の語源です。


中庭

【文珠楼】


根本中堂の正面の急坂を上がると文珠楼(もんじゅろう)です
根本中堂から見ると東側で比叡山の総門の役目もしています。


文珠楼
文珠菩薩が飾られているのですが中に入って急勾配の階段を上がると中は雑然としていました。


再びバス停に戻り西塔を通り越して横川(よかわ)へ


バスセンター

龍が池弁天→横川中堂→元三大師堂→比叡三行院を見てきました。

観光客が殆どいなくて景観が素晴しく比叡山の北に位置し、ひとしお霊峰の感のする横川(よかわ)は
平安の昔から現代に至るまで多くの文学作品の舞台となっています

【龍が池弁天】

【横川中堂

横川全域が西国三十三箇所の観音石仏がめぐりがあり、数箇所だけ写してきました。


虚子の塔


横川の鐘楼


【元三大師堂】


元三大師堂(四季講堂)は慈恵大師(元三大師)良源の住居跡と伝えられています。
慈恵大師は延暦寺中興の祖としてしられ、第18代天台座主として19年間在職しました。
ここはおみくじ発祥の寺といわれています。今でも、先ず僧侶の前で自分の悩み事を話し、おみくじを授受します。
そしておみくじに書いてある内容について10分程度僧侶から教えを受けます。


比叡山行院】


 ここは天台宗の修行道場であり、読経の声が地の底からわき上がるように荘厳に響き渡っています。
この付近はほとんど観光客もなく静寂であり、修行道場は周辺の環境によくとけ込んでいます。

【横川の紅葉】
観光客がいない横川の晩秋の散策は心に染み渡ります。

横川→バスで比叡山・山頂→ロープウェイ→ケーブル→バス→京都
薄暮のロープウェイとケーブルに乗りました。ケーブルでは車内の電気を消して外灯だけで夜景と紅葉のライトUPを見ることが出来ました。京都に着いたのがPM8時を廻っていました。



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