2015・11月26日〜29日
津和野、萩、宮島平和記念公園の旅A
萩市
いよいよメインのひとつ幕末から明治維新にかけて歴史がぎゅっと詰まった萩市を見学です。
円政寺(えんせいじ)
明治維新の立役者である高杉晋作や伊藤博文が勉学に励んだ寺として知られています。
寺には、幼い晋作が肝だめしをしたという大きく迫力のある「天狗の面」や、遊んだ木馬(神馬)が残っています
木戸孝允生家
豪商菊屋住宅
菊屋家は、毛利輝元の萩入国に従い山口から移ってきた萩藩の御用商人で、代々大年寄格でもあった家。
とくに主屋が極めて古く、全国的にみても最古に属する大型の町屋として、その価値は極めて高いそうです。
江戸初期に建てられたという切妻造り、瓦葺きの主屋は広い座敷をもち、度々、幕府巡見使の宿として本陣に命ぜられていたそうです。
とにかく敷地が広くよくこれだけの美術品が残ったと感心しました。
調度品もフラッシュなしで写す事ができました。
お庭も広大です。
高杉晋作生家
世界遺産・萩反射炉
反射炉は、鉄製大砲の鋳造に必要な金属溶解炉で、萩藩の軍事力強化の一環として導入が試みられました。
萩藩は安政2年(1855)、反射炉の操業に成功していた佐賀藩に藩士を派遣し、鉄製大砲の鋳造法伝授を申し入れますが断られ
反射炉のスケッチのみを許されます
現在残っている遺構は煙突にあたる部分で、高さ10.5mの安山岩積み(上方一部レンガ積み)です。
オランダの原書によると、反射炉の高さは16mですから、約7割程度の規模のものになります。また、萩藩の記録で確認できるのは
安政3年(1856)に試験炉が操業されたということだけであることから、萩反射炉はこのスケッチをもとに設計・築造された試験炉であると考えられています。
サイトよりお借りしました。
松下村塾・吉田松陰文の杉家・松陰神社
親思う こころにまさる 親ごころ
きょうの音ずれ 何ときくらん』
江戸に囚われ、いよいよ処刑を覚悟した吉田松陰が、故郷の両親に向けた思いを詠んだ辞世の句です。
享年三十。
松下村塾
杉家生家
松蔭神社
明治23(1890)年に吉田松陰を祀って建てられた神社。
松下村塾改修時に松陰の実家である杉家により私祠として村塾の西側に土蔵造りの小祠が建立された。
その後、門人の伊藤博文、野村靖などが中心となり、神社を公のものとして創設しようという運動が起こり、
明治40(1907)年、県社の社格の神社創設が許可された。現在の社殿は昭和30(1955)年に完成したもの。
御神体として松陰が終生愛用した赤間硯と父叔兄宛に書いた文書が遺言によって納められている
旧社殿は「松門神社」として、松陰の門人であった人々の霊を祀っている。
(左)松陰神社内にある「明治維新胎動之地」と大書された石碑。揮毫は山口県出身の内閣総理大臣・佐藤栄作によるもの。
(右)土佐藩・坂本龍馬、薩摩藩・田上藤七、長州藩・久坂玄瑞が、文久2年、この付近にあった宿屋にて一堂に会し、
国事を語り合ったであろうことを記念して建立された「薩長土連合密議之處」石碑。揮毫は内閣総理大臣・岸信介。
山口市
瑠璃光寺
ここで萩の観光を終わり山口市の瑠璃光寺に行きました。
五重塔は応永の乱で戦死した大内義弘の菩提を弔うため、弟の盛見が嘉吉2年(1442)に建てたものです。
室町時代中期の優れた建築物で、上にいくにつれて細くなる最も美しい塔のひとつといわれ、国宝に指定されています。
美しさは日本三名塔の一つに数えられ、室町中期における最も秀でた建造物と評されています。
ちなみに、日本三名塔の他2基は、奈良県の法隆寺と京都府の醍醐寺にある五重塔です。また、檜皮葺屋根造りのものは瑠璃光寺の他に、奈良県の
室生寺・長谷寺、そして広島県の厳島神社にもあります。